モリス、デザイン、分離、ファンタジー、ベンヤミン、アウラと午前三時の疑似恋愛の表象

三時まで十分、日記を書く。

 

最近はずっと、表現に向き合うこと、表象について、想像するということ、

目的をひき寄せること、そしてアドラー心理学に置ける目的と愛と勇気、そんなことについて考えている。

それによって、自己肯定感がなくても、

本当に愛がもてる方向を、不安に打ち勝つ勇気を持って、愛をモチベーションに想像すれば、

方向の先においた目的も達成できるし、本にも映画にも集中できるし、

ギターも上手くなるし音痴じゃ無くなるし、文章も上手くなるし、

幸せになれるし、自己肯定感も育つかも。って思ってる。

 

へへへ、オカルトだっていう?ただはしょりまくっただけだよ。

 

今日、夫と本屋で待ち合わせしたのだけど、

ウィリアム・モリスの本にちょうど没頭していた私を

夫が覗き混んだ時、夫だから安心して、

「いま、筆者は、モリスが、対象から形を分離させて、デザインという形式をもって、新たな美を形成したのだから、彼の興味が晩年ファンタジーに向いたのも自然だ、ということを言っていて、

それって昼間話した、ベンヤミンの言うアウラがないっていうことだよね、

でも、モリスの想像力であったり、世界に対する眼差しであったり、美を作り直す、

というのは、同じく昼間話した私の最近の問いと仮説に触れていて…」

などということを頭の中そのままたどたどしく話してしまったが、

何しろそこは喫茶店ではなく、本屋の真ん中だったので困った表情をさせてしまった。

やってしまった。

人と話す時に、他者への敬意を忘れてはいけないのに。

本屋を出てから、

「どうしてずっと不安そうな顔をしているの」

と聞かれ、答えると、優しく慰めてもらえた。

こんなことで、断絶を感じてしまってはいけなかったのに。

 

不安を感じたのは事実で、不安のあまり、

私は本当はその時考えようとしたこと、言語化しようとしていた曖昧なものを、

殆ど忘れてしまった。

だから、先ほどの「」部分の中身を思い出すのに、時間がかかった。

だから、実際考えていたこととは少し違うかもしれない。

忘れないという勇気が足りなかった。

私にとっては、孤独にならないことが一番大切だから。

 

とっくに三時をすぎてしまった。

夜中の三時は、本来は心のおやつの時間。

起きているなら、癖になるだけでただ高カロリーで、

なんの栄養も残らない、一時的な陶酔に身をまかせていいことになっている。

朝になったら、ああ、なんであんな馬鹿なことをと笑いながら、

思い込み、思い込みだと、

ちゃんとヘルシーに生き直すことができるから。

 

三時代のいま。

私が好きになるかもしれなかった人が、

例えばああいう子、もしくはこういう子と

一緒にいるのだ、と思うと、お腹から暗闇がせり上がってきて、喉が締め付けられる。

やめて、そんな子とつきあわないで、と思ってしまう。

私が心から尊敬できて、心から美しいと思える人としか、愛しあわないでほしいよ。

君は神様みたいなんだから、天使としかつきあわないで。

 

しかし、これだけ文章を書いている間に、そんな陶酔も少しは落ち着いた。

だから余計、数時間後にやってくる朝からは、またヘルシーに生きることができるだろう。

 

久しぶりに書いた長文ブログ、誤字脱字、ごめん。

いい年して、ちぐはぐ。

 

私は妊娠しているのですが、今日は赤ちゃんがよく動きます。

おやすみなさい。