労力(SNSにおける長文と短文)

最近は、欲望とアンチエイジングとメイクの年相応なワンランク上げとApple製品研究と娯楽程度のカルチャーとの狭間で生きています。

 

大阪に引っ越してきたのですが、純喫茶巡りも再開しました。

お金がかさむからやめよう、と思ってたけど。

省みると、いつのまにやらそれなりに地を転々としていたわたしにとって、

そこに馴染む、ということは、半径2キロ以内(自転車で15分以内)に、お気に入りのお店や居心地よくコーヒーを飲める場所を確保する、といことになっていたようです。

 

とにかく、マイブームは自分の欲望に素直になること、です。

 

mixi全盛時代に自我の形成後期を過ごしたアタシラですが、

そこで年相応の欲望の効もあり、

文章表現の楽しさ(ストレス解消程度の)を知りました。

時代の変化にならい、

FacebookTwitterに移行したものの、、、

全然慣れませんでした。

 

わたしの趣向が古いのでしょうか。

人格形成期に影響したものに、とらわれ続けているのでしょうか。

 

ほんとうに短文をかけない性格なのでしょう。

短文を書こうとすると、わたしは本当に日本語が下手になってしまいます。

だってアレ、文法違うもん。

わたしの言語による思考体系が、それなりに長さを必要とする一文と様々な文法を組み合わせないと表現できないことがわかりました。

誤解を恐れて付け加えると、

別に複雑なことを考えているわけではありません。

浮かんでくるのは単語なのです。

それを違和感なくつなげるためには、多くの助詞や助動詞や文法を必要とするだけです。

長文とは、伝えたいことへの軌道修正や帳尻あわせの積み重ねです。

散文詩になりきれない、わたしの散文詩です。

だから要約もできません。

わたしにはストレートな言葉は見つからないし。

感覚の赴くように書きたいからです。エモくなってるからです。

 

そして、他の皆さまのように、それぞれの書き方を場によってスイッチできるほど、

機転もきかないのでした。

 

わたしは文章を書くという労力を、エモくなるという欲望で間に合わせているので、

人に伝わる事実をお友達に向けて書くFacebookも合いませんでした。

 

どうしてmixiのように、Twitterのように自意識を込めつつもダラダラ長文を書くことが許され、いいねがつかなくてもアクセス回数や足跡で承認欲求をみたせ、

全然それに対する言及をしなくても、コミュニティで趣味仲間を見つけられる、

便利なSNSツールが廃れてしまったのでしょう。

最近、たまにログインしては切なくなります。

ゼロ年代の若者達の自意識がそのまま化石になって残っているので、

ゼロ年代研究の人たちにとっては役立つことこのうえないと思います。

 

みんな、はてなブログTwitter二刀流になったの?

Twitter使う人はみんな、はてなブログで長文を書く欲求をみたしているとでもいうの?

 

それならわたしも…

マイブームが欲望に素直になることだし、

素直に長文書いてみるさってことで、

今回のこの記事、

FacebookTwitterと、mixiなどの違いを、

長文と短文などの具体例をあげつつ、文章を書くという観点から書いてみたよ、

というはてなブログらしいものになったのではないでしょうか。

せっかくなので、タイトルもカッコ内にそれらしいものを書いておきます。

機転をきかせていきたいです。

 

(大部分は、昨日の純喫茶でエモくなりながら書きましたが、

 今まとめているのは、スターバックス。シメに向けて、エモさが半減していったの、バレてしまったでしょうか。

iPad Air2の画面に iPad pro 12.9用のキーボードで打ち込んでいるので、

なんだかえらくカスタマイズしてるノマドのようになってしまいましたが、

ただ9.7インチ向けのをもってないだけです。)

 

 

 

 

 

 

紙を開いたら、そこに思い出すべき言葉があれば、私はポケットがついてる服さえ着ていれば、どこへでもゆける。

最近みたマジカルガールという映画がある。

あ、違う、マジカル・ガール。ナカグロが必要なんだ。

 

それにでてくる女が、

途中で短時間で荒稼ぎできる部屋にはいるんだけど、

どうやらそこにはいるとすべての欲望の対象になって、

自分がモノのようになってしまうらしい。

本当にやめて欲しいときは、ここに書いている言葉を叫べば

すべてがなかったことになる、

といわれて支配人に渡された紙には、

ブリキ

と書いてある。

 

その次に、女がもっとひどいらしい蜥蜴の部屋にはいる時に、

紙を開くと、白紙だった。

その部屋から出てきた女は、ぼろぼろになっていて、

また映画の物語はある方向に転がっていくのだけど。

 

そんな風に、混乱したり、自分が消え去りそうな言葉って、

たしかにいくつか必要かもしれない。

 

最近私が思いついた言葉は、

いま自分はなにをすべきか

なにが大切なのか

なにがしたいのか

なにになりたいのか

なんて、自己啓発的な言葉。

刺激に飽きたらなくて、

感情揺さぶられたいがためについついメンヘラのこと

考えちゃう私にも、

自問自答は、それ以上に本能的な優先順位と感情の揺さぶりをくれるからね。

なにかおすすめあったら、教えてね。

 

こうやって、文章で自分のこと書いてておもったけど、

それって昔思ってきもちわるくなったけど、

文章を文章として書くのは、演技だね。

文章で自分を表すのはね。私は文章じゃないからね。

文章に自分を要約するっていうのは、

なりたいものになることもできるし、好きなだけ自己演出できるからで。。。

 

でも、演劇部で、演技が大好きだった私にはぴったりだね。

どっちにしろ、自己表現のどこからが演技かなんて、わからないから。

その高揚感と、脳内麻薬のなかにいよう。

じゃないと、私は、安定した人格をもたないものすごく気分屋なような弱い人間のことを考えまくって、自分の人生と、感情の波を浪費してしまうから。

 

いつか誰かに届くかもしれないと思いながら。

どうでもいい長文ばっかのツイッターですら恥ずかしい自問自答だけど、非公開にしたい理由もないから公開する。

いま自分がなにをすべきか

いま自分はなにをしたいのか

いま自分はなにになりたいのか

一番大切なことはなに?

 

一番大切なのは自分だよ。

だから、自問自答する。

 

もう人のことなんて考えたくないよ。

考えてしまうのはなぜ?

そこの人間関係で、自己実現できないから。

どう思われてるのか気になるから。

直した方がいいのかな? と思うから。

きっと、自分の感情を揺さぶるのが、癖になってるから。

問題と解決の、カタルシス中毒だから。

なやみとどん底の感情からの、答えと自分が認められた感でしか、

自分のことを認められなくなっていたから。

普通にやってれば、とっくに解決していたのに。

勝手に現実を難しくして、ゲームのようにしていた。

 

あの強烈な無駄なプライドと、弱さの肯定と、繊細で大きな感情の振幅で、

強烈に認められたいんだ。粘着質に、愛されたいんだ。

そういう人にしか、私のほんとのところは、理解されないと思ってるんだ。

あの強烈な無駄なプライドと、弱さの肯定と、繊細で大きな感情の振幅が、

一時の私を支えるものだったから。

そして、それは誰にでもあるから。

 

人の行動を、自分に結びつけないこと。

相手がどういう人かを知ってつきあうのではなくて、

相手がどういうやりかたで人とコミュニケーションをとりがたっているかに、

あわせること。

最近、人に感情移入することを恐れなくなりつつあるけど、

自分が失われてしまうと、つまらない。

強さと弱さが丁度いい自分で、

自分のいいたいこと、面白く要約して、

人を笑わせたいし、

グルーブ感の中で、打ち解けていきたいね。

相手に感情移入しながら、自分の言いたいこというっていうの、大事だ。

相手とそこにいる私だけの、グルーブ感のなかで。

一人遊び

ごきげんよう。

最近はいろんなことをさぼって、婚約者に料理をつくって愛してもらう毎日です。

指輪買ってもらってサイコーです。たださぼったことにはちゃんと理由があるのだから許してください。さっきまで、婚約者の大好きなSPEC見てたけど、相手が寝ちゃったので、ひとりで三話分ぐらいみてました。戸田恵梨香かわいい。

 

なんの前提もなしに、いきなり書きたいこと書いてしまうと、

メンヘラとかポエマー(というよりも、そういうことを書くとメンヘラだと思われることに気づいていない人)だと思われてしまうので、少し括って書きます。

実際はポエマーは別に歓迎なんだけど、アタシいい歳になっちゃったしいろんな人がいるからね。

 

以下【Eより】

私は、ひとりの生き物なので。

世界の感じ方には、命がかかっていると思うんです。

そう、あなたと同じように。

それでも私は、演劇的な文章で遊ぶのが好きなのだけど。

そうでもしなきゃ、新しい面白さに出会えない。◀︎これも嘘

予防線の中に、少しだけ本当を孕ませて、鏡の中を探すんだ。

 

もしも私が、今後お芝居をしたり、言葉をしゃべったりする時のために、

昔の自分と対峙したときのために、私は問いを消さないように、

以前、後生大事に持ち歩いていたバッグ、

むしろその重みに私がひきずられていたその中身を、

いくつか書き残しておかなくてはならない。

 

Q.最初から上手にできる人と出来ない人の違い

Q.それに罪の意識を感じなければならないのか

Q.要領よく抜きん出ることは、リスキーではないのか、失礼では

Q.上手に動きまわったら、自分を捨ててしまいそう

Q.やらないといけないことに圧迫されて、やらないまま、

 それを放棄する選択肢を待つ状況を私はどこかで望んでいるのか?

 

A.得意不得意は当たり前。別の世界の感じ方をそのままトレースすることは、

 いまさらやっても中途半端になるだけ。

 好きにやりたい。好きにやることができるのだからやる。

 そんな十代はどこかで社会で抑制されるのが当たり前だと思ったがそうでもない。

 人生短いし、できる人とできない人、自分を幸せにできる人とできない人がいるのは あたりまえ。善し悪しじゃなく、結果が違うのはあたりまえ。

 別段悪いことやってなくても、自分が幸せをつかむことができなければ

 幸せにならないのも普通。イレギュラーもあるけどすくない。

 やたら恵まれまくってる人がいるのだって普通。普通、普通。

 やりかたと能力によって、労力と成果が見合ってないのだって、普通普通。

 あたりまえ。仕方がない。それをわからないと、効率よく進めない。

 できることをやることしかできない。

A.義務に圧迫される状況を、むしろ社会とつながった「やらないといけないことがある」という使命感と、「でもやれなかった」という、不可能性と解放、という面で私は欲している。

 よくないから、しばらくなにもやらなくていい状況に身をやつしてみる。

 快適。人生ではじめて。

 

 

・最近気に入られた言葉。

「彼の目的は、踊るために踊ることだったんだよ」ジャクソンポロックへ。

 

・さいきんのことば

業と性

人生で一番目にはいるジュエリー

すごくすてきなジュエリー買ってもらっちゃったってきぶん

おしゃれは着せ替え的ひとり遊び

価値を消費するか、価値を生み出すか、どちらにしろ価値に関わらなければならない。

自然と感じてしまうことに罪はないし、価値をもたせて語ってしかるべき。

だから、私が言いたいことを言うことを許せると同時に、

他人の別意見にも、許そうとせずに許せるようになりました。

未熟だしつまんないしダサいのに、自分を正当化して、美化しているうちに、

それでも同じようなレベルの人たちが集まってきて、

内輪ノリなんだけど楽しそうで、

って人間がこの世の中のほとんどで、

だから私も、ありえない完全を手にいれなくたって、

堂々と楽しく生きようとしていいんだ、と思えたのです。

公平な不公平さを受け入れて、ラッキーなのは当たり前って

ほかの人を黙らせてしまうから、喋るのをやめて書くことにしたんです。

口をとじて、ペンを持ったんです。

嫌いといえば好きな感情に悩み、好きといっても、嫌いな感情になやみそう。

母親の察しがすでに子供の感受性に追いついていないが、この子に、分離と自立を啓蒙したところで、心のどこかで母親の愛を求め続けるだろう。

正直さと、敬意が大事です。そして少しの好意。

少しずつ、過去を思い出して、忘れない楽しい記憶をつくろう。

はだかに似合うジュエリー。

大切なのはしなないこと。もひとつあるとしたら、生きようとするきもち。

 

・さいきんのめも

プラチナとゴールドどっちも肌色にあう

涙ぶくろとクマ

ベビーパウダー

ヴァセリン

 

ほんならありがとう、今日はこれでおやすみ。

自分を、すくう方法みっつと忘れてたこと

自分を救う方法には3つあると思う。


1.自分のためになる行動をすること。

   与えられたり設定した目的を要領よくこたしたり、達成感を感じたり。自分のために自分で行動できるという時点でかなり自分を救えている。


2. 自己表現すること。

   文章で、思うことを書いたり、絵を描いたり。哲学を考えることも、考えるのはテキストを生み出す行為だからこれにちかいとおもう。

それだけではなく、運動や研究だって、自分の欲望を自分の力で満たすのは、そこには自分が表現されている。

表現したものが認められる如何にかかわらず、素直な自分をだすことは救いだ。



3.好きな人と過ごすこと

  恋であれ友達であれ。

 特に、自分をわかってくれているひと。


番外.わすれてた

好きなものを、ただ鑑賞すること。

しかしこれで本当に救われるものか。



片付ける動作


片付ける気持ちがあるかというより、片付けるという動作があるかどうか。


眠くなった。大切なことをいくつか書こくとしたのに。

部屋に満ちる青い夜

書けない、という感覚を味わってみたくて、それがわかる人間に一度はなってみたくて、今まで書かなかったのかもしれないな。

そう、書こうとすると、少し眠くなるし、書かなくてもいいか、とおもえるのだ。


だが、書いてみる。

実家にいるときの、夜が部屋の中に青に輝いているときの、クールダウンしたクールな気分で今日を眺めるときの、気持ちを言葉にしたいときの、言葉にして気持ちを知りたいときの、耳をすませれば時計がチクタクなっているときの。

書かなければ、言葉は雑になる。

いまがそれだ。計算できなくなる。自作自演じゃなくなり本当のことしか書けない。


おしっこにいきたい。